村上春樹「女のいない男たち」を読んだ

村上春樹の新刊「女のいない男たち」を読み終えた。 彼の短編集は初めて読んだけど、短編集って、珠玉の物語のアソートみたいで好きだ。 ばらばらな作品の寄せ集めに見えて共通のテーマを持っていたり、物語同士でつながりを持っていたりするとなおさら。

この作品は、中高年男性の喪失の物語が6つ収められている。女がいない、というよりは、女に去られた、もしくは去られようとしている男たちの(決して、恋愛経験ゼロの男たち、ではない)。 私の周りにはこの世代の男性があまりいないけど、そういう人たちには「あるある」なのかなー。人生いろいろ過ぎやしないか(でも妙にリアリティはある)。 それぞれの物語について、備忘録的なメモを残しておく。 (印象に残ったところも引用しておきます)

ドライブ・マイ・カー

演技をすることを生業としている、俳優の話。女性ドライバーの、沈黙を要する主人公への寄り添い方が良かった。運転技術がずば抜けて高い女性というのもまた格好良い。

しかしどのような場合にあっても、知は無知に勝るというのが彼の基本的な考え方であり、生きる姿勢だった。
あるのは、以前に経験したものごとをもう一度なぞっているような、マイルドな既視感だけだった。
(演技をしたあと)いやでも元に戻る。でも戻ってきたときは、前とは少しだけ立ち位置が違っている。それがルールなんだ。完全に前と同じということはあり得ない。
他人の記憶の蒐集管理
本当に他人を見たいと望むのなら、自分自身を深くまっすぐ見つめるしかないんです。

イエスタデイ

生まれも育ちも田園調布なのに完璧な関西弁をしゃべり、早稲田大学に入るべく浪人生活をしている(でも受験勉強はしていない)木樽という男性のキャラがよかった。 彼の恋人が上智大学の学生で、渋谷で映画を見たり、桜丘の小さなイタリアンで食事をしたり、と、私が個人的に親しみを感じる要素があったのでちょっと好印象だったり。 彼の、彼女を大事に思ってるんだけど、性的なことをするのが気恥ずかしいという気持ちはまぁわからなくもないんだけど、そりゃー彼女としては不安にはなるよね、と女性側に気持ちが寄ってしまった。 彼の持ちだした奇妙な提案も含め、いるよね、こういう、変だけど魅力的な人、という一番身近に感じられるストーリー。 語り手は、作者の自己投影かなと思わせるような設定だった。

樹木がたくましく大きくなるには、厳しい冬をくぐり抜けることが必要なみたいに。いつも温かく穏やかな気候だと、年輪だってできないでしょう
何を探しているのか自分でもよくわからない場合には、探し物はとてもむずかしい作業になるから
記憶は避けがたく作り替えられていくもの

独立器官

複数の女性と同時進行でおされなデートを楽しみ、典型的な独身貴族生活を謳歌する医者が、初めて恋に落ちてしまう話。 極端だけど、好きなストーリーだった。 「イエスタデイ」の語り手だった、木樽の友人が、この物語でも語り手となっているのがオツな感じ。

肉体なんて結局のところ、ただの肉体に過ぎない
「機転といえば、フランソワ・トリュフォーの古い映画にこんなシーンがありました。女が男に言うんです。『世の中には礼儀正しい人間がいて、機転の利く人間がいる。もちろんどちらも良き資質だけど、多くの場合、礼儀正しさより機転の方が勝っている』って。その映画をごらんになったことはあります?」 「いいえ、ないと思います」と渡会は言った。 「彼女は具体例をあげて説明します。たとえばある男がドアを開けると、中では女性が着替えをしているところで、裸になっています。『失礼しました、マダム』と言ってすぐさまドアを閉めるのが礼儀正しい人間です。それに対して、『失礼しました、ムッシュー』と言ってドアをすぐさま閉めるのが機転の利く人間です」
なぜなら彼女は私にとって特別な存在だからです。総合的な存在とでも言えばいいのでしょうか。彼女の持っているすべての資質がひとつの中心に向けてぎゅっと繋がっているんです。
すべての女性には、嘘をつくための特別な独立器官のようなものが生まれつき具わっている。(中略)本人の意思ではどうすることもできない他律的な作用だった。

シェエラザード

この辺から、奇想天外というか、村上ワールドな感じ。舞台となっている「ハウス」が何を意味するのかわからないし、なぜ主人公は外界から交渉を遮断されているのかわからないし、「連絡係」の女性はどういう役割(仕事)で彼の元に通っているのかもよくわからない。 けど、千夜一夜物語で、毎晩王様に面白いピロートークを語り聞かせることで首をはねられることを免れた、王妃シェエラザードをなぞらえてるというのが素敵ではないですか。ちょうどお話が盛り上がったところで、「続きは、こんどね」と潔く切り上げてしまう、魅力的なストーリーテラー。私もほしい。

彼女が過去に、好きだった男の子の留守中の家に入り込み(有り体に言って空き巣)、彼の持ちものをひとつ持ち帰る代わりに、自分のもの(一応伏せてみますが、高校生の男の子の部屋には普通あるわけがないもの)を置いてくる、というのは、まぁ犯罪なんだけど、心理的にはわかると思ってしまった。 好きな人の持ち物って、愛しいもの。好きな人の部屋も、特別な空間。そこに自分色の何かを持ち込みたくなるのというのも自然。 変態だしストーカーっぽいし犯罪なんだけど、わりと好きなお話でした。

毎日つけている小さな日誌には、彼女がやってきた日には「シェエラザード」とボールペンでメモしておいた。そしてその日彼女が語ってくれた話の内容を簡潔に―――あとで誰かに読まれても意味がわからない程度に―――記録しておいた。

こういうのって、好きな人がいる人のささやかな特権ですね。

木野

傷つくべきときに十分に傷つかなかったので、中身の無い虚ろな心を抱き続けることになったバーテンダーの話。 居心地の良さを象徴する猫、両義的な生き物である蛇、柳の木に、女がくることを知らせる雨、危険を知らせるガードマンみたいな男。象徴的なモチーフが散りばめられている。 「ドライブ・マイ・カー」の主人公たちが訪れるバーが出てくるのが心憎い。

正しからざることをしないでいるだけでは足りないことも、この世界にはあるのです。

女のいない男たち

表題作なのに、これが一番突拍子もない話(のように私には思われた)。つくづく、平凡な構造をした脳なんだなぁと自分で思ってしまう。 一本の見知らぬ人物からの電話から物語が始まるところが、ポール・オースターの「ガラスの街」を連想させた。

ある日突然、あなたは女のいない男たちになる。その日はほんの僅かな予告もヒントも与えられず、予感も虫の知らせもなく、ノックも咳払いも抜きで、出し抜けにあなたのもとを訪れる。

女にとっても当てはまることだと思うけど、まぁ女性の方が何の予兆もなく突然に幕を閉じることが多いんでしょうね。

さまざまな「失恋」(と言うと軽すぎるかもしれないが)を描いた作品集なので、人によってどれに共感するかが異なりそう。 読んだ人たちの感想を聞いてみたい。